自由と自分



私にとってのファッションとは

ファッションとは何か。

このテーマを聞いた時、正直何も思い浮かばなかった。強いていうなら、「おしゃれ」という単語が頭に浮かんだが、自分はこの「おしゃれ」に苦手意識がある。これはきっと自分の自信のなさに起因するものだと思う。



昔、自分が好き好んでつけていたアクセサリーを友人に「ダサい」と言われた。

その時はなんとなく笑って見せたが、この否定の言葉は自分の中に深く刻まれている。(ちなみに「ダサい」と一蹴されたアクセサリーは「ロボットのネックレス」…今思えば確かにダサい。笑)

更に遡れば、小学校、中学校、高校、大学とことごとく自分の選択を否定されてきたように思う。




自分とジェンダー

例えば、小学校の頃は黒いランドセルが欲しかったが、与えられたのは赤いランドセルだった。

中高では制服はズボンが良かったが、与えられたのはスカートだった。

「こういう服を着たい」といえば、「なぜそんな男の子みたいなものを欲しがるのか」「男になりたいの?」と聞かれた。

でも、その言葉にも違和感を覚えた。「男になりたい」訳では無い。かといって、「女らしくありたい」訳でもない。


自分は「自分」でしかないのに、なぜ「男」や「女」の型に入れようとするのか。息苦しさと、自分を否定されたような気持ちになった。


このような過去もあってか、今の私のファッションを一言で言い表すなら「無難」という言葉が合うだろう。

可もなく不可もなく。敵を作らない。それが自分の「ファッション」だったのだろう。




見つけた「自分のファッション」

ただ、最近ふと「オシャレが楽しい」と感じた瞬間があった。それは、何気なくInstagramにアップした写真についた「オシャレ!」「いいね!かっこいい!」「似合ってるね!」という肯定的なコメントがきっかけだった。

今までは何かと否定されることが多かった中、突然多くの「いいね」が寄せられ、少し困惑したものの、同時に喜びを感じた。

「自分のファッションはこれが正解なのか…!」

そう思うと、なんだか今までどこか避けていた「オシャレ」への興味がすこし湧き出た。

「こういう服が自分には"合う"んだ」

「こういう服を着ている自分を皆は好きなのか」

もっと好きと思って欲しい。その想いが、ファッションへの興味を加速させたのだと思う。



なりたかった「自分」とは

そんなことを、このコラムを書こうと決めた時別の友人に話してみたところ、思いもよらぬ答えが返ってきた。


「それって結局"いい子ちゃんのファッション"ってことね」


衝撃だった。

やっと見つけた「自分のファッション」だと思っていたものは、結局誰かに褒められたいがための「いい子ちゃんのファッション」だったのか。


少しの間、思考が止まった。

じゃあ、自分の「ファッション」とは何なのか……。



改めて友人に聞かれた。

「自分にとってのファッションってなんなん?」

しばらく悩んだが浮かんだ答えは「お守り」だった。


「自分という概念を守ってくれるお守りやと思う。」


でも、自分でも少し違和感があった。

自分のこの"いい子ちゃんのファッション"がお守りなのだとしたら、一体何から守ってくれているのだろう。


そこで、冒頭のことを思い出した。

「無難に見られたかったのかもしれない」


自信がない自分を守る「無難」という名のお守り。

でもそれは、型にハマりたくない自分にとって、

本当に「お守り」だったのだろうか…。



ここで改めて考えた。


自分が本当に望む「私のファッション」とは何か。



着てみたいものはある。

かっこいい綺麗系なセットアップも着てみたい。


身につけたいものもある。

世界に一つだけのオリジナルグッズを身につけたい。


テーマも設けたい。

動物や鳥をテーマにしてみたい。


でも、いまひとつまとまりがないように感じた。



そこでまた友人が口を開いた。

「本当は『自由』に憧れてるんじゃない?」


その一言に、今までにないくらいストンと腑に落ちた。


『自由』今まで自分が何かとテーマにしていた。

自分は『自由だ』と発信したかった。

でも、常に『不自由さ』が後を着いてきていた。


そこで自分は確信した。


「自分にとってのファッションとは、

『自由へのあこがれ』 だと思う。」


自由。子供の頃からずっと夢にまででてきたもの。

ずっと求めていたのに、ずっと手に入らなかったもの。


その憧れを、自分はいつの間にか「ファッション」に取り入れていたのかもしれない。


よく、「ファッションは心を映す鏡」と聞くが、

そういう意味では、その言葉は正しいのだろう。なんの意識もしていなかったが、ハッキリと

「自由へのあこがれ」を表していたんだと気づいた。





自分にとってのファッションとは


自分は楽しいことが好きだ。

写真を撮ったり、旅行をしたり、友達と馬鹿騒ぎしたり、

ヒッチハイクに挑戦したり。


人はきっと、そんな自分をみて「自由を謳歌している」と思うかもしれない。


でも、その実、自分は常に「不自由」につきまとわれている。


ファッションも日常生活も、恋愛も。


自分は自分でしかないのに、

自分のままでいたいのに、

環境が自分を「型」に押し込もうとする。


でも、今思うのは、

型に嵌められ押し殺された過去の「自分達」を

自分は決して嫌ってはいない。


人の中身、アイデンティティは流動的で変動するものだと思う。

形がない。産まれては壊れを繰り返す。

だから、その人は厳密に言えば「その一瞬」にしかいない。

自分もそうだ。今の自分と同じ自分は後にも先にもいない。



その一瞬を

一生の思い出に。



これは自分の理念だ。

いつか型に嵌められ苦しんだ自分も

きっと未来の自分にとっては「一生の思い出」になると思う。




自分にとってのファッション。

それは、「自由へのあこがれ」。



まだまだ確固たる「自分らしさ」は見つかっていないが、

その「自分らしさを探している今の自分」はまさに、

「自由へのあこがれ」の象徴だと思う。



なので、仮に自分のファッションをみて

「ダサい」と思っても、

それは「自由を追い求める等身大の自分」なので、

ダサくて結構。


…なので、「ダサい」とは口にしないでください…

(泣いちゃう)





著作:鳥さん

週末カメラマン

その一瞬が一生の思い出に。という理念で切り取っています。

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